満を持しての登場となったメガドライブですが、次世代機としては2番手だったこともあり、日本では主導権を握ることができませんでした。
ただし、海外では強いセガブランドは北米市場において、スポーツゲームなどのラインナップの充実ぶりや、「ソニックシリーズ」の爆発的ヒットにより シェア率54%を達成し、ハードウェアとして最大の成功をおさめることになります。 |
メガドライブ(セガ) |
その後、メガドライブも周辺機器としてメガCDというメガドライブ専用CD-ROMドライブを発売しますが、やはり2番煎じゆえ残念な結果となってしまうのでした。
ただ、一番下にメガCD、その上にメガドライブを接続、さらにメガドライブのカセット挿入口にその後発売となる周辺機器「スーパー32X」を差し込んだ姿は
三段重とも言える圧倒的な存在感を放っていたのを覚えています。
ついに「メガドライブ」の発売から2年後の1990年、スーパーファミコンの発売となります。
満を持して登場となったスーパーファミコンは、ファミコンとの互換性を持たないにもかかわらず、既に発売となっていたPCエンジン、メガドライブを超える規模のシェアを獲得しました。 |
スーパーファミコン SHVC-001
(任天堂) |
なぜこれほどまでに、簡単にシェアを獲得できたのか?
それは、2つの大きな要因によるもので、1つ目は他の機種には無い機能を実装していたという部分です。
スーパーファミコンには、「背景の多重スクロールと拡大・縮小・回転表示機能」という機能が実装しており、初期に発売された「F-ZERO」や「パイロットウィングス」では
これらの機能をフルに生かした内容で、多くのゲームユーザーに衝撃を与え、スーパーファミコンの独自性を強烈にアピールすることが可能だったということです。
そして、2つ目はライトユーザーや大手ソフトメーカーの取り込みに成功したということです。
ファミコン時代から付き合いのある多くのメーカーが、参入することで既存ファンの取り込みだけではなく、その安心感から多くの新規ユーザーの獲得にも成功しました。
特に、1991年に発売になる「ファイナルファンタジーIV」は、本体の普及に大きく貢献しました。
このように大ヒットとなったスーパーファミコンですが、徐々に「販売価格の高騰」という問題が浮上してきます。
「ストリートファイターII」、「スーパーマリオカート」、「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」などの人気ソフトで主導権を確実にしましたが、定価が1万円程度とするソフトが多くなります。
これは、ゲームの大容量化による開発費の高騰や、媒体が現在では主流となっているCD-ROMでは無くROMカセットであったことが要因であるといわれいます。
この問題は簡単に解決できるものではなく、1995年頃にはほとんどのソフトが1万円を超え、かなりの深刻な状況になります。
1996年には任天堂によるロイヤリティーの引き下げ発表により、高騰に歯止めが掛かりますが、それでも店頭販売価格は1万円を越えていた状況でした。
しかしながら、次世代機登場までは市場を牽引した、偉大なゲーム機だったことは間違いありません。
そんな中、CD-ROM機開発でソニーと仲たがいすることになり、その後の任天堂に大きな影を落とすことになるのです。
あっ! そういえばスーパーファミコンの発売後、あのATARI社より新型ゲーム機が発売になります。
その名は「Atari Jaguar(ジャガー)」。
後にCD-ROMドライブも発売になりますが、コントローラーのボタン数20個って……本当にありがとうございました……。
次回は第5世代以降について、記載したいと思います。
では、あなたにとって幸多からんゲームライフを。