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Interview, text & photo
洪愛舜 Hong Ae Sun
<profile>
1977年大阪府堺市生まれ。
立命館大学理工学部卒業後、出版社勤務などを経てフリーランスのライター・編集者に。編集プロダクション「econ(エコン)」主宰。
著書『もやもやガール卒業白書』(MMR)がある。
『econ-mag』編集長。
自身も0歳&2歳の二児の母。




仕事と子育て、両方をがんばっているワーキングマザーたちは、どんな風に毎日を送っているのでしょうか。
8回目となる今回のゲストは、3人の男の子を育てながら正職員としてお仕事をされている杉本さんです。(編集部)


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実は私の場合、少し特殊な事情がありまして……。夫が大学の研究職についている関係で、勤務地が数年おきに変わっていたのですが、二人目、三人目ともに、妊娠が分かったタイミングで夫の職場が変わり、引っ越しすることになったんです。
二人目の時は、妊娠が分かった直後に東京から京都の大学へ移ることになりました。出産予定日が10月だったのですが、その年の4月から夫は単身で先に京都へ移り、産休に入るまでは長男と二人で東京に残って、産休に入ったらすぐに京都に転居し、出産しました。
私は育休明けにそのまま京都事務所に転勤する形で復帰し、1年ほど勤務していました。すると三人目の妊娠がわかって、その後すぐにまた、次はアメリカの研究機関に移ることになって(笑)。また同じように、夫に先に赴任してもらい、今回は京都で出産して2か月ほどして三男が飛行機に乗れるようになったところで、子ども三人を連れてアメリカへ行き、三人目の育休中はそのままアメリカで暮らしました。夫のアメリカでの任期終了と私の育休期間がちょうど同じくらいだったので、日本へ戻ると同時に保育園を探して職場復帰、という形になりました。

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もともと子どもは最低でも三人はほしい、と夫と決めていました。私自身も四人きょうだいということもあって、三人以上いるとそれぞれの関係を楽しめる、というのを分かっていたので。でも、「何歳差で」というところまでは決めていなかったんです。長男も次男も二歳前後まで授乳していたので、授乳が終わって妊娠して、となるとこのタイミングになった、という感じで(笑)。
夫は「ポスドク(博士研究員)」だったので、任期がくると次の研究先を探さなければならない、というのは決まっていたことでした。住んでいる近くで見つかればいいな、というのはありましたが、それ以上に研究内容を重視していた結果、こうなって(笑)。
でも、夫の異動が、私の産休・育休のタイミングでなければ、単身赴任になるか、もしくは一緒に行くためには私が仕事を辞めないといけなかったので、二回とも家族みんなで一緒に暮らすことができて私も仕事復帰ができたので、大変なことはありましたが今思うとありがたいタイミングでしたね。

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二人目は京都で出産したので立ち会ってもらえたんですが、三人目の時は先にアメリカに行っていたのでいませんでした……。夜中に陣痛が来たのですが、当時2歳だった次男は寝かしたままベビーカーに乗せて年長の長男にベビーカーを押してもらい、三人で病院に行きました。
そのまま入院になって、子どもも出産に立ち会える病院で、畳の部屋で分娩だったので、上の子たちには折り紙で遊んだり絵本を読んだりしてもらいながら、私は隣りで陣痛中、という(笑)。幸い三人目ということもあって、すぐに産まれてくれたのでよかったです。
今思うと、あれは本当に大変でした。今までで一番大変だったかも……いや、もっと大変なこともあったかな(笑)。

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京都に移るときは、長男は年少の年だったのですが、保育園の3歳児クラスに空きがなく、当時育休中だったこともあって、1年だけ幼稚園に通いました。翌年、職場復帰のタイミングで長男も4歳児クラスになって枠が増えたこともあり、保育園に移れることになって、10月生まれの次男も1歳児クラスで保育園に入りました。
アメリカから東京に戻ったときは、長男は小学2年生だったので、公立小学校に転校しました。次男と三男は、4歳児だった次男は公立保育園に入れたのですが、三男は1歳児ということもあり、認証保育園しか入れなかったんです。
しばらく別々の保育園に通わせていて、3カ月ほど経ったとき、三男が次男とは別の公立保育園に移れることになりました。次男の保育園は人気園だったこともあって、三男がそちらに移れる可能性は低いと思われたので、次男に三男の公立保育園に移ってもらうことにしました。
次男は、日本で保育園に通う、という生活に慣れた頃にまた転園することになり、言葉でのコミュニケーションが少し苦手だったこともあって、数か月間は「前の保育園がよかった!」と苦情を言っていました……。ことあるごとに「前のところではこれ出来たのに……」と言ったり。
親の都合で転園させてしまったことに「申し訳なさ」はありましたが、それはなるべく表に出さないで、今のところでもこんな良いことあるよね、とは、弟と一緒だと楽しいよね!と励ましました。1年もしないうちに慣れてくれたのでよかったです。

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実は、保育園の頃より小学校に上がってからの方が、親の「やること」は多いんですよね(苦笑)。宿題を見たり、音読を聞いたり、忘れ物をチェックしたり……。長男は四年生から学童がなくなったので、四年生のときはクラスのお友達と公園で遊んでいたみたいなんですが、五年生になって放課後はみんな遊ばなくなったようで、今は一人で家か児童館か図書館で過ごしているようです。あとは、週1回、スイミングに通っていますね。送迎バスがあるので助かっています!
今は時短勤務で16時15分までですが、通勤に1時間半ほどかかるので、学童の終わる18時ギリギリ。学童は19時まで延長できるのですが、今は時短を使って延長はしないで乗り切っています。
以前までは、学童に次男を迎えに行き、そのまま保育園に寄って三男を連れて三人で自転車に乗って帰っていたのですが、5歳児と8歳児の二人を自転車に載せるのがきつくなってしまって(笑)。最近は、先に学童の次男を迎えにいって一旦家に戻り、次男は家で長男と一緒に待っていてもらいながら、保育園の三男を迎えにいくようにしました。そういう意味でも、長男がいてくれるのがとても助かっています。

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