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Interview, text & photo
洪愛舜 Hong Ae Sun
<profile>
1977年大阪府堺市生まれ。
立命館大学理工学部卒業後、出版社勤務などを経てフリーランスのライター・編集者に。編集プロダクション「econ(エコン)」主宰。
著書『もやもやガール卒業白書』(MMR)がある。
『econ-mag』編集長。
自身も0歳&3歳の二児の母。




仕事と子育て、両方をがんばっているワーキングマザーたちは、どんな風に毎日を送っているのでしょうか。
9回目となる今回のゲストは、ご自身でマタニティ整体のサロンを主宰されている川崎さんです。(編集部)


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産休に入るまで、都内の総合病院看護師として勤務していました。それまでいくつかの病院に勤めて、オペ室や救急救命、ICU、美容外科、産婦人科などいろんな科を経験しました。
私が看護師になろうと思ったのは、高尚な理由があったわけではなくて、実は親の願いを叶えるため、だったんです。両親は、結婚しても子どもを産んでもずっと続けられる仕事を、ということで看護師の資格をとることを望んでいて、私はそれまで親に反抗して生きてきたので、一つくらいは願いを叶えたい……と思って。でも、ただ看護師になるんじゃなくて、看護師の資格を持って独立したい、という思いが初めからありました。

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マタニティセラピストの資格を取得すべく、育休中にスクールに通いました。このスクールは、今では全国各地に展開しているんですが、当時は愛知にしかなくて、息子と一緒に泊まり込みで約1週間みっちり学びました。出産してちょうど1年経った頃です。
資格を取って1か月以内に開業しました。初めは自宅の一部を使って始めました。同時に、非常勤近所のクリニックのお手伝いもしていました。

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ベビーマッサージの資格を8年ほど前にとっていたのですが、当時まだ妊娠も出産もしておらず、「自分が子どもを産んでないのに説得力がないな……」と思っていました。「夜泣きにいいですよ」と言っても、自分がそれを経験していないのに変だな、という気持ちがあったんです。その頃から「マタニティセラピスト」の資格のことは知っていて、自分が妊娠・出産したら取得しよう、と考えていたんです。
マタニティを選んだのは、人があまりやりたがらないことだから。やっぱり、妊婦の身体を触るというのはリスクが大きいので、誰もやらないんです。私はなぜか昔から人がやりたくないことばかりやってきて。それに、医療と民間の間のことをやりたいという思いがありました。

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「働きたいけど子どもとも一緒にいたい」と思っていて、できれば週3日くらい仕事して、残りは子どもと過ごす、という働き方ができれば……と。わがままな気持ちなんですが……。それを叶えるためにはやっぱり独立しないと、と。それに、この働き方だと保育園には入れないので、保育園は初めから諦めていました。
開業したての頃は週2回だけの営業にしていたのですが、半年ほど経った頃から有難いことにたくさん予約をいただくことになって……。いきなり週5日の営業になりました(笑)。

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予約が入っていると私は休めないので、パパにお願いすることが多いです。パパは、ほとんど毎日夕方から朝までのお仕事なので、日中は比較的自由がきくので……。
病院も、私が連れていくよりパパが連れていく方が多いと思います。病気の時だけじゃなくお迎えなども本当に全面的に協力してくれるので、私が仕事するにはこの人じゃないと無理だったなと思います(笑)。

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