<profile>
大宮冬洋 omiya toyo
1976年埼玉県生まれ。フリーライター。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に就職するがわずか1年で退職。編集プロダクションを経て、2002年よりフリー。雑誌、web、書籍などで活躍する。著書に『30代未婚男』『ダブルキャリア』(ともに共著、NHK出版生活人新書) がある。最新刊は、『バブルの遺言』(廣済堂出版)。
BPnetビズカレッジにて『「ロス女」vs「ボク様」50番勝負』を、Bloom cafeにて『ガリ勉☆甲子園!』を好評連載中。
ブログ『実験くんの食生活』を毎日更新。


洪愛舜 Hong Ae Sun
1977年大阪府堺市生まれ。
立命館大学理工学部卒業後、出版社勤務などを経てフリーランスのライター・編集者に。編集プロダクション「econ(エコン)」主宰。
著書『もやもやガール卒業白書』(MMR)がある。
『econ-mag』編集長。





     
 

大宮冬洋さま

こんにちは、洪愛舜です。
余震や停電、原発問題などで全く落ち着かない日が続いていますが、大宮さんはご無事でいらっしゃいますか?
ブログを拝見したらお元気そうにお見受けしたので、少しほっとしています。
こういう状況が続き、何をやるにしても「それどころじゃないでしょ」というのと「いや、でもそうも言ってられないし」というのの間で揺れて、身動きがとれないというか自分で判断しづらいことが多く、打ち合わせ、会合、プロジェクトなど、いろいろなことが停滞してしまっているように思います。
このメールも、ずっと送りそびれているままだし……。
(実は先週の金曜日の時点で、いったんメールは完成していました。書き上げて、食後に最後の推敲をしてから送ろうと
遅い昼食をとっているときに地震が来て……。
そのとき書き上げたメールはあまりにもテンションが違うので、お蔵入りすることにしました)

気を取り直して。

これは、昨年チリで起きた落盤事故のときも思ったのですが、今回の東北関東大震災に関する一連の報道を見ていると、
「家族」というの存在の重要さについて、改めて実感させられます。
(この件については、先日お会いしたときもお話しましたね)
この人のために生き延びる、この人に会うまで絶対に死ねない、そういう「支え」になるような存在って、やっぱり家族以外にはありえないんだなぁ、と。
その存在が生きるために力になるのだから、家族というのは人が生きる上で非常に重要な存在なんだ、ということを考えます 。
他にそうなりえる存在って、あるでしょうか。どう思われますか。

これは、大宮さんから問題提起のあった「自立」というテーマにもつながるかもしれません。
確かに私自身も「自立しなきゃ」という意識は強かったと思います。
大宮さんのメールを読んでいて思ったのは、大切なのってきっと、「自立すること」そのものよりも、「何から」自立するのか、なのかな、ということです。
自立の反対って「依存」になると思うのですが、何にも依存しない状態、家族にも会社にも社会にも依存しない、何もかもから自立するというのは、それってきっと「自立」ではなく「孤立」のように思います。
では、一体何から自立することを意識してきたのかというと、やはりそれは「親からの自立」なのかもしれません。
少なくとも私はそうだったように思います。
私は19歳で実家を離れて暮らすようになり(その時は学生で、親から仕送りをもらっていて親の庇護下にある身分ではありましたが)、そのまま23歳で就職のために上京してからは、両親と兄という家族は自分にとって「家族」ではあるけど、なんとなく、もう「卒業した家族」のような、そんな感覚でした。
それから長い間、世帯主は自分、家族構成本人のみ、という、「超・核家族」の状態が続き、でもそれについてうれしいとも嫌だとも思わない、当たり前のことのように受け止めていました。でも、いつしか、だんだんと「家族」という存在を求める気持ちになって。
その時に、両親と兄、という「元の家族」に戻りたい、というより、私にとって大切な人と新しい家族を築きたい、という風に自然に思考が働いたように思います。
私の中に「結婚したい」という気持ちが初めて生まれたのは、これがきっかけでした。
(2008年ごろだったと思うので、30歳の頃です)

今思うと、自立をせかすような教育を親から受けてきたようには感じませんが、私は自然とそれが当たり前、人というのはそうやって親から自立していくべきだという価値観を持つようになっていました。
なぜなんだろう。
その理由はわかりませんが、その方が私にとっては心地良かったように思います。

一方で、新しい家族である夫との関係を見て、いろんな意味で私が「自立」できているかどうかを考えると、全くできていないと思います。
経済的にも精神的にも、かなり依存しています。
そう思うと、結婚というのは、依存する相手が変わるだけなのかもしれません。
(私の場合は空白の10年くらいがありますが)
親に依存していたのが、夫や妻に依存するようになるだけ。
それを美しく表現すると「支え合って生きる」になるのかもしれない、というと言い過ぎでしょうか。

自立というテーマに関して、もうひとつ、私たち世代の女子が強いられてきた「自立した女」という呪縛についても語りたかったのですが、それについてはまたの機会にしたいと思います。

色々と、心を重くさせる事象が続きますが、どうぞご自愛くださいね。
大宮さんが健やかに過ごされますように……。

 

洪愛舜

2011年3月17日 6:16
 
     


01 / 02 / 03 / 04







本サイト内の記載内容についての無断転用を禁じます。
Copyright(c)2008-2011 econ & Hong Ae Sun