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大宮冬洋 omiya toyo
1976年埼玉県生まれ。フリーライター。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に就職するがわずか1年で退職。編集プロダクションを経て、2002年よりフリー。雑誌、web、書籍などで活躍する。著書に『30代未婚男』『ダブルキャリア』(ともに共著、NHK出版生活人新書) がある。最新刊は、『バブルの遺言』(廣済堂出版)。
BPnetビズカレッジにて『「ロス女」vs「ボク様」50番勝負』を、Bloom cafeにて『ガリ勉☆甲子園!』を好評連載中。
ブログ『実験くんの食生活』を毎日更新。


洪愛舜 Hong Ae Sun
1977年大阪府堺市生まれ。
立命館大学理工学部卒業後、出版社勤務などを経てフリーランスのライター・編集者に。編集プロダクション「econ(エコン)」主宰。
著書『もやもやガール卒業白書』(MMR)がある。
『econ-mag』編集長。





     
 

大宮冬洋さま

こんにちは、洪愛舜です。
お返事をありがとうございました。
実は、先週より大阪の実家にて滞在しています。
もともと、4月から「里帰り出産」というやつで戻ってくる予定にしていたのですが、 今回の原発事故問題でいろいろと協議をした結果、しばらく大阪で様子を見ようということになり……。
自分の意志で自分の行動を決定できないのは非常にもどかしいです。

そして、予定外に始まった13年ぶりの実家生活を送りながら、先日大宮さんお送りしたメールの内容について少し考えてしまいました。
先日のメールにも書いた通り、19歳のときに家を出て以来、自分では自分は「自立」したと思っていましたが、もしかするとそれは「自立」というより「解放」に近いものであったかもしれません。
多かれ少なかれ、自分の行動や意思決定において影響を与えようとする、「親」という存在からの解放。
(そういう意味では、「卒業」という言葉は妥当かもしれません。「この支配からの、『卒業』」という)
それは非常に心地のよい時間と空間でした。
でも、そこに「自立」が意味するような成長や責任が存在したかどうか、自らに問うてみたら、少し疑問に思えてきます。
ここ数日の実家生活の中で、親から逐一小言を言われ(部屋の掃除はやったのか、夜にチョコレートを食べるな、食後はすぐ片づけをしろ、使わない電気は消せ、などなど、至極正当な小言たち)、それが煩わしくてたまりません……。
その内容は、家を出る前の高校生のときとほとんど変わりないものばかりで、私は今をもってまだ「子ども」なのです。
結局私は13年経っても、そういう意味ではちっとも成長していなかったのです。
私の自立への道は、もしかするとこれから始まるのかもしれません。

さて、大宮さんからいただいたメールを読んで、前回の私のメールで記述が不十分であったと気づきました。
前回、私は「家族は生き延びる上で支えになるの存在」と書きましたが、だからと言ってそれすなわち、「だから家族は偉大だ、大事だ、なくてはならない存在だ!」という等式が成り立つわけではない、というところまで論じる必要があると思ったのです。
「家族が支え=家族は大事」という考えは、『諸刃の剣』だと思います。
支えがあるから、いざというときに生き延びる力を得ることができる反面、そんな自分の家族を守ることだけが大事、という思考につながって、大宮さんの言うような今回の「買占め」のような事態につながったり、家族を持たぬ者は人間として失格、といったような価値観が蔓延したりすると思います。

大切なのは、家族を心の支えとする人は、「家族が大事」という考えが諸刃の剣であるということを自覚しておくことなのかな、と思いました。

そして、大宮さんがいう共同体の大切さについて、すごくよくわかります。
私は小さいころから在日コリアンのコミュニティの中で育ってきました。私が育った堺という町は、在日コリアンの集住地区ではなく点在している感じだったので普段から顔を合わせるというわけではありませんでしたが、何かあれば集まったり、母親同士、商工人同士など様々なネットワークでつながっていたりして、それはきっと、在日コリアンが今よりもっと生きづらかった時代に、生きていくために先人たちが肩を寄せ合い、培ってきた共同体なんだと思います。
その同胞コミュニティで父や母が関係を築いてきた方々が私の結婚式にも大勢来てくださって、20年ぶりとかに会う人とかもいたのですが、なんというか、心から祝福してくださるのですよ。
本当に、心が熱くなりました。
私なんて全然関係ない娘のために涙してくれるなんて……これが、今まで父と母が築いてきたものなんだろうな、と、かなりグッとくるものがありました。

「支え」となる存在は、多いほどいいと思います。「家族だけが支え」であるよりも、友人や恩師、親族や地域の人たち、などなどなど…… いざというときに思い浮かぶ顔が多ければ多いほど、生きようとする力は強くなるのだから。
だからまさに大宮さんの言う「家族も含めていろんなコミュニティに依存しつつ、自分もできるだけの貢献をする」というのが理想ですよね。

そうとわかっていながらも、なぜそれができないのかというと、そこまでの関係を築くためには、ある種の「義務」や「責任」が生じるもので、それに対する煩わしさがあるからだと思います。
現に私、今住んでいる目黒という街に、誰一人知り合いはいません。
(以前からの知り合いがたまたま同じ街に住んでいる、というケースはありますが)
マンションの隣の部屋に住んでいるのがどんな人なのかも知りません。郵便受けでお名前だけ知っている状態です。
なぜそうなっているのかというと、理由はとても簡単で、煩わしいからです。
物理的な距離が近すぎる人と知り合いになると、干渉されたり面倒をかけられるのではないか、そうなるくらいだったら初めから関係など築かない方がラクだ……
地域コミュニティの大切さをわかっている私ですが、それ以上に煩わしさが勝ってしまっているわけです。
ダメですね……。
更に、「助け合い」という言葉にあるように、「助けてもらう」だけではなく、こちらからも「助ける」必要があるわけです。お金や労力なんかを注いで、こちらも何がしかの「貢献」をしなければならないのです。
大宮さんは、西荻という街のためにフリーペーパーをつくるという活動をしてるから、 そこに人間関係が生まれて、支え合いの関係が築かれていったのだと思います。
でもそこまでいくのがかなり大変で……
それだったらもう、家族だけでいいかな。。。と考えてしまうのではないでしょうか。

そういう意味では、家族にだって「扶養義務」という義務がお互いに生じているわけで、 一方的に助けてもらうだけの関係というのは、どこにも存在しないのですけどね。

なんだか長々と書いてしまいました。
でも、自分の中で「家族」というものが大きく形を変えようとしていくこの時期に、大宮さんとこうやってお話しながら家族や共同体についてじっくりと考えられたこと、 私にとってとても貴重な経験となったように思います。

明日、いったん東京に戻ることになりました。
煩わしい実家生活に嫌気がさして逃げ出す、というわけではなく、バタバタとこちらに来てしまったので、産休に入る前の残務処理をしに戻ります。
これが終わったら、いよいよ産休、そして本格的な実家生活です。
たったの1週間でもこんなに思うことがいろいろあるのに、これから2ヶ月も滞在するとなると、私はどうなってしまうのだろう……。
あまり考えたくありませんが、人間として成長できる機会になれば、と少し期待しつつ、過ごしてゆきたいと思います。

ではではまた……。

 



洪愛舜

2011年3月24日 9:35

 

 
     

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