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くりオンマ
<profile>
1980年東京生まれ京都育ち。
大学卒業後、渡豪し、自然と戯れる。
2010年、結婚を機にソウルへ。
現在は外資系企業でアナリストとして働きながら、ソウルで妊娠生活を送っている。



朝起きて、トイレに行ってみると、出血が
えぇ、予定日までまだ3週間もあるぞー。おしるしかな?と思い、パニクる。旦那は今日、たまたま有給休暇を取っていて、まだ寝ていた。旦那を叩き起こし、出血した旨を伝える。旦那もまたパニクる。今までの妊娠生活があまりにも平穏で順調だったため、この時期尚早の出血に二人ともパニック。

不安になり、すぐ母親に国際電話。来週、私の出産に合わせて韓国に来る予定になっていた母。しかし、もしかしたらすぐ産まれちゃうかも!?なんて不安な気持ちで電話をして、母親に状況説明。「とりあえず、病院に行ってみなさい」との事。冷静に考えれば当たり前の話なのだが、その当時はパニックになっていて、そんな当たり前の事さえも思い浮かばなかった。

母親との電話を早々に切り、病院へ電話。この時点でまだ朝の7時前。電話を受けた方に状況を説明。予定日3週間前ならおしるしの可能性もじゅうぶんあるとの事。焦る。焦る。陣痛の有無を聞かれ、全然感じないと言ったところ、9時から診察が始まるので、その時に来てくださいと言われる。

病院に向かうまでの時間。さぁ、私は何をすべきか!
とりあえず、けりの付いていない仕事を片づけなければと思い、すぐにパソコンに向かい、急いできりの良いところまで仕事を終わらせた。そういえば、昨夜、会社から戻ってきて、今日は従弟の送迎があるから、仕事をある程度片づけておこうと思い、夜遅くまで仕事をしていたんだった。なんというタイミングだ。昨夜がんばって仕事を片づけておいたおかげで、仕事は意外と早く片付いた。

そして、産まれてくるクルクリの産着やガーゼなどを一度も洗っていないことに気づく。そう、今日から在宅勤務に切り替わる予定だったので、残り3週間で産着の洗濯をしようと思っていたのだ。これはどうしたものか。とりあえず洗濯機を回そうかと思ったが、陣痛が来ていないのだから、すぐ産まれるわけもないかと、病院から帰ってきて洗濯機を回すことにした。

こうやって、バタバタしている間に病院が開く時間になったので、病院に向かった。病院は家から徒歩5分。いや、5分かからないかも。そのぐらいの距離なのに、今日はとても長く感じた。病院に着くや否や状況を説明し、すぐ診察してもらった。

先生が診察しながら、「とりあえず入院しましょう」とおっしゃった。前置胎盤と言って、胎盤が子宮口を塞いでいるとのこと。
胎盤が子宮口を塞いでいるのに、赤ちゃんが降りて来ようとしていて、胎盤から出血したものと見られると言われた。何よりも真っ先に赤ちゃんの命が気がかりだった。赤ちゃんの命に問題はないのかと尋ねたところ、赤ちゃんの命には別条はないが、このままだと私の命に問題があるとの事。そのため、当分は絶対安静ですと告げられる。そう告げられるとすぐに、車いすが私の横に運ばれてきた。

「今からは車いすで移動してもらいます。」

死の淵に立たされた気分だった……

絶対安静で数日様子を見て、胎盤の位置が変わるのを待つとのこと。

入院手続きをしに向かった。その最中、気になっていたことは仕事のこと。きりのいいところまで仕事は片づけてきたけど、産休前までにやっておきたい仕事をすべて終わらせたわけではない。絶対安静だから、ベッドの上で仕事をするしかないなと考えていた。

入院の手続きが済み、病室に行く前に、陣痛が来ていないのか調べると言われ、検査に向かった。検査が始まって20分くらい経ったであろうか。主治医が入ってきて、一言。

「緊急手術です」

なにぃ!?

「陣痛が来ています。」

えぇ!?おなか全然痛くないよ?

「でも、陣痛が始まっているので、帝王切開しかありません。」

予想もしていなかった事態が起きた。帝王切開。自然分娩をするものだと思っていた私には衝撃であった。でも、時間がないから、一刻も早く手術をしなければならないとの事。

ここで、またもや問題が……


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