HOMENO GAME, NO WORLD > P.01


<著者プロフィール>
内田 洋平(うちだ ようへい)
1978年生まれ。
幼少より3度の飯よりゲーム好きのコアゲーマーとしてすくすくと成長。
途中、海外で生活してみたり、有限会社の代表をやってみたりと自分でも適当な人生送ってんなぁと思いつつ、いつのまにか某大手ゲーム会社の子会社にてオンラインゲームの「コンテンツプロデューサー」という立場なってる行き当たりばったりな男。
小さなころからゲームに関わる仕事がしたいと思っていたら、今までついた仕事は全てゲーム関係という理想の状態に。
いや、現実はなかなか甘くないなんて愚痴は言いませんよ。
あぁ、この先ゲーム関係以外の仕事に就くことは無理なんだろうなぁ〜。



世界で初めてのゲーム機は
『○×ゲーム』


皆さんこんにちは。
ゲームライフ、楽しんでいますか。

前回とは打って変わって第2回目の今回からは、TVゲームプラットフォームの歴史について記載いしたいと思います。

まずプラットフォームとは、いわゆるTVゲーム【機】のことで、任天堂のWii、ソニーのPS3、マイクロソフトのXbox360などを指します。

その歴史を簡単に紹介すると、世界で初めてのTVゲームは1952年に登場した「○×○(チクタクツー)」というものです。
これはいわゆる『3目並べ』を行うゲームでした。

ただこれは、当時のコンピュータ・『EDSAC用』のテレビゲームとして作成されたものです。
家庭用ゲーム機の登場は、その後、1972年にアメリカで登場した「オデッセイ」が世界初といわれています。
この「オデッセイ」では「キツネと犬」や「ピンポン」といった数種類のゲームを遊ぶことが可能でした。

世界初の家庭用TVゲーム機
『Odyssey(オデッセイ)』

そして、この「ピンポン」が後に、ATARI社より「ポン」となって発売され、世界で一番最初にヒットしたゲームとして知られています。
ただ、「ポン」は「ピンポン」をまんま“パクッた”ものであったため、後の裁判でATARI社は「オデッセイ」の販売元であるMagnavox社に対して70万ドル支払う羽目になるのですが、これが家庭用ゲーム機並びにゲームの興りといわれています。

さて、ここまで読んでいただてすでにお気づきかと思いますが、TVゲームの発祥は日本ではありません。

ではなぜ、日本でTVゲーム文化がこれほどまで強く根付いたのか?

次のページでその要因に迫ります。

 


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