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大宮冬洋 omiya toyo
1976年埼玉県生まれ。フリーライター。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に就職するがわずか1年で退職。編集プロダクションを経て、2002年よりフリー。雑誌、web、書籍などで活躍する。著書に『30代未婚男』『ダブルキャリア』(ともに共著、NHK出版生活人新書) がある。最新刊は、『バブルの遺言』(廣済堂出版)。
日経ビジネスオンラインにて『ボク様卒業への道 ロスジェネ既婚男のつぶやき』を好評連載中。
ブログ『実験くんの食生活』を毎日更新中。


洪愛舜 Hong Ae Sun
1977年大阪府堺市生まれ。
立命館大学理工学部卒業後、出版社勤務などを経てフリーランスのライター・編集者に。編集プロダクション「econ(エコン)」主宰。
著書『もやもやガール卒業白書』(MMR)がある。
『econ-mag』編集長。




     
 

大宮さま

こんにちは!
ようやく「秋」になりましたね。というか寒い。
それにしても「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉が当たりすぎていて怖くなってしまいました。
こんなにぴったり23日から涼しくなるなんて、昔の人になんでも見透かされているようで……。
恐るべし。いろんな予言とかも当たってしまいそうです。

さて、お義父さんのお話、なかなかすさまじいですね。
大宮さんがお義父さんに惹かれるの、なんだかわかる気がします。
私の中で「裁判所書記官」というと、『家栽の人』に出てくる高崎さんというイメージしか知識を持ち得ていないのですが、高崎さんのような方が40代半ばで裁判所を辞めて農家に転進する、ということを想像すると、想像つかないというか、とてもアウトローですね。
でも、大宮さんの初対面の印象をお聞きする感じでは、どちらかというと桑田判事の方が近い気がして、そう思うと、なんだか合点いきます。

それにしても「内なる声」というのは、ドキッとさせられる言葉です。
「自分に正直に生きる」というのはまっすぐで正しい感じもしますが、私のようないいかげんなタイプはそれを「言い訳」に楽な方へ楽な方へ流れていくことを正当化させる術にもなってしまいそうで。
その言葉で人を動かせる人というのは、よほどストイックな人なんだと思いました。
だって例えばいわゆる「だめんずさん」がいきなり「オレ、こんなところでサラリーマンやってるような人間じゃないってオレの内なる声が言ってんだよね」とか言って会社辞めて自称ミュージシャンや自称お笑い芸人や自称小説家になると言ったら、きっと周囲の人は「あ、こいつまた出た……」みたいな感じになると思うんです。
それを、「そうね、あなたのやるべきことはこれじゃないよね」って納得して家族も動くということは、日ごろからよほどストイックに(特に自分に対して) 過ごしていたからじゃないかなぁと。
そのストイックさを突き詰めていく、ある種「愚直な」生き方が、もしかすると大宮さんの心を動かしているのかも、と思いました。
(私も、自分に厳しい人にはすごく憧れます。自分は「○○べき」より「楽しそう♪」に動かされるタイプなので……)
お義父さんとの接触により、これから大宮さんの中でどんな化学反応が起きていくのか、だいぶと遠くの位置から楽しみにしています。


大阪は、暑かったですね。そして熱くもありました。
なぜか披露宴に巨大マグロが2匹登場して、その場で板前さんたちによる解体ショーが行われたりして、なかなかの盛り上がりでした。
ただでさえ在日コリアンの結婚式ってほんと「祭り」って感じで異様に大盛り上がりするんですが……。
でも、兄と兄嫁さんはラブラブで、ああ、4人家族だった私たちがこれからは3組の夫婦になるんだな、と思うと、兄の存在がこれまでより少しだけ近く感じました。
そう思わせてくれる兄嫁さんにはほんとに感謝です。


そう言われてみると確かに東京は「破壊された」街ですね。
でも、やはり400年の歴史を持つ都だと感じますよ。
当時の建物は残ってないとしても、例えば江戸時代の古地図なんかと見比べてみると大枠は全然変わってなかったりして、なかなか興奮します。
(ちなみに初期が好きなので「江戸図屏風」なんか特に興奮ものです。
できれば雲全部払ってほしい!)
地名も当時から同じものが多く、その由来とかを考えると、ほんと、歴史ある都だと思います。
例えば私が今住んでいる目黒にある有名な「権之助坂」というのは、江戸時代に作られた坂なのですが、もともとこの場所に坂はなく、その横に今もある傾斜が非常にキツイ「行人坂」しかなくて、日々そのキツイ行人坂を登る住民たちの苦労を見た当時目黒を収めていた菅沼権之助さんという人がなるべくゆるやかな勾配になるよう、新しい坂を作ったそうです。
すると、権之助さんは、勝手に坂を作ったとして謀反の罪に着せられて、処刑されてしまうのです。
それで、明主だった権之助さんを偲び、権之助さんが作った坂道を「権之助坂」と名づけ、それが脈々と今も続いているのです。
私は1週間に6日は権之助坂を通りますが、その度にこの話を頭の隅っこで思い出し、権之助さんの無念や住民たちの気持ちに思いを馳せるのが好きです。
自分とは全く関係ない歴史の話ですが、その場所と同じ場所に自分が立っているのがなんだか奇跡的で、非常に興奮します。
旅行もそんな感じで巡るのが好きです。
今年は特に横山光輝先生の歴史コミックシリーズに夢中になっているので、日本史がとても好きになりました。
学生時代は日本史など触れたこともなかったですが(それは言いすぎ)、月並みな言葉ではありますが「今」の積み重ねが歴史になり、未来にもつながるのだな、と、権ノ助坂を通ると感じるのです。
「都市文化論」と呼ぶにはあまりにもおそまつですが、私が東京の街について思うのはこんな感じです。

(しかしこう見ると私の例え話はマンガばかりですね……
前回の『気楽に殺ろうぜ』もしかり……)

今日のところはこの辺で。
今年は「暑い」を言い訳にいろいろたくさんサボってしまったので残り3ヶ月でなんとか巻き返したいと思います。


ではではまた!

洪愛舜拝

2010年9月27日 5:12

 
     
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