洪愛舜さま
こんにちは。大宮です。
確かに秋らしい天気になりましたね。
一番好きな季節です。
過ごしやすいし、お気に入りの長袖シャツを楽しめるから。
出費といえば外食ばかりで洋服はほとんど買わない僕ですが、長袖シャツだけは毎年1、2着はユニクロ以外で買っています。今年はどんなのを買おうかな……。
今回の洪さんのメールには奇遇を感じてちょっと怖くなりました。
「自分に正直に生きると楽なほうに流される」。
せつない真実ですよね。
実は、僕も1週間ほど前にまったく同じことを自分に問い、働き方を修正している真っ最中なんです。
3年ほど前まで、僕は「書くことなら何でも請け負う」ライターでした。
最も多かったのがビジネス系の実用記事ですね。
「イケてるビジネスマンになるための朝習慣」みたいな内容を取材しまくり書きまくっていました。忙しかったな……。
で、あるとき「内なる声」が聞こえたんです。
お前はこのまま「何でもライター」でいいのか? もしくはビジネスライターとして一流になりたいのか? どちらでもないだろう。ならば惰性で仕事を受けるのはやめて、本当に自分がやりたいことをやれ!
で、当時仕事をくれていた雑誌編集部などにいきなり「卒業」(というか中退)を宣言し、今後は「オレ的な企画」でしか書かないことを決めたのでした。
おかげで自分で企画を考えて提案する習慣が少しはつきました。
請け負い仕事で忙しかったときは、目の前の原稿を言い訳にして企画を立てることから逃げていたので、その意味では必要な3年間だったと感じています。
しかし、以前にも書いたように基本的には「受け身」の姿勢であることも改めて気づかされました。
仕事量が半分以下になったので、膨大な暇時間ができるのですが、ひたすらダラダラしてしまうんですよね。
独自に取材・執筆して完成した書籍原稿を出版社に持ち込む、といった情熱は起きませんでした。
今になってわかるのは、僕には「内なる声」に従って守り貫くほどの自分はなかったということです。悲しい発見ですけどね。
例えば、どうしてもアラスカの熊を追ってルポルタージュを書きたい、なんていう明確な「声」が聞こえるならば、期間限定で休業して渡米するという選択もあり得ますよね。
僕の場合は、順序が逆でした。
「暇になったら自分が見えてくるのではないか」と。
自分探しに海外へ脱出、的な発想です。
見えてきたのは、相変わらずボンヤリしている受け身な自分だけでした。
そして、3年間で貯金も使い果たしました(笑)。
というわけで、上記の編集部などに「生意気言ってすみませんでした。復帰させてください」と謝って回っているこの頃です。
本当は3ヶ月前ぐらいには現在の働き方に限界を感じていたのですが、今さら昔の仕事仲間に頭を下げるのが辛くて怖くて、イライラモジモジしていました。
妻や飼犬に八つ当たりをしたり。最悪ですよね……。
口先だけで「すみません」を連発するのは得意な僕ですが、「私が間違っていました」と全面的に負けを認めるのはすごく難しかった。
でも、謝ってしまうと意外とスッキリするものですね。
「戻ってきてくれて嬉しいですよ」とありがたいことを言ってくれる人もいて、目頭が熱くなることもあります。
まあ、実際に仕事を回してくれるかはまだわかりませんけどね。
いま、僕の「内なる声」をあえて表現すると、「大事に守るほどの自分はないのだと気づいたのなら、仕事を選ぶな。何でも勉強になると思ってがむしゃらに働いて、その過程で自主企画も育てていけ」ということですかね。
これって内なる声? それとも「外からの声」なのでしょうか。
とにかく一から出直しです。
秋という穏やかな収穫の季節ですが、僕は一人で耕作と種まきをやり直しています。
なぜか爽快な気分です。
大宮冬洋
2010年9月30日 0:52
|