洪愛舜さま
おはようございます。大宮です。
スポーツと働き方・生き方への洪さんの考察、面白いですね。
チーム競技の場合は「どのチームに所属するか」で外部からの評価が左右され、個人競技の場合は純粋に個人の成果が問われる、ということでしょうか。
ただし、少年時代にチーム競技の補欠であり続けた僕の経験から言うと、巨人の二軍選手よりはヤクルトのレギュラー選手のほうがモテる気がします。
ただし、実業団野球のレギュラーと巨人の二軍を比べるとどうなのかはわかりません。
ここで重要になってくるのは、「チーム名」や「数値化できる成績」とは別の要素です。
納得感や充実感、自信、将来性などですね。
数値化はできない要素だけれど、顔を合わせて数分間話せば一目瞭然です。
有名企業にいても、同僚にも仕事にも恵まれずにふて腐れている人は、どんよりとした空気を身にまとっています。無名の中小企業の所属でも、プロフェッショナルとしての誇りを持ちながら責任を持って働いている人は、話も具体的で面白いし、やる気も好奇心もあるので一緒にいるだけで明るい気持ちになります。
同じことは、フリーランサーや専業主婦にも当てはまるのではないでしょうか。
企業勤めなどに未練を残している人は不明瞭な印象を受けます。
「私は本当はこんなことをしている人間じゃないのに」という気持ちがどこかにあると、頭と体が半透明になってしまうのです。常にかすかな自己嫌悪と苛立ちを抱えて、でも現状を否定して抜け出すような勇気もなく、もやもやイライラしながら日々を過ごしていく。
どんなに繕っていても、周囲の人には気づかれます。ヒトは人間関係の中で生きているので、「安全な雰囲気を出している人」「面倒くさくて下手すると危険な人」を判別する能力は発達しているのでしょう。
ちなみに僕は新卒でユニクロ店舗で働いていた時代、久しぶりに会った学生時代の後輩に「この人、真っ黒だな。ブラック冬洋だ」という感想を持たれました。
あの頃、よほど追い詰められて攻撃的になっていたのだと思います。
いつどこで誰と何をするのか。僕たちの生活には大小を問わずに無数の選択肢があります。
日々、無意識にでも選択をしながら暮していると言ってもいいでしょう。
その結果によって、気分はけっこう変動しますよね。
僕は食いしん坊なので、マズイというか料理に愛のない外食店を選んでしまった場合は食後の3時間ぐらい機嫌が悪くなってしまいます。
誰からもうらやまれるようなモテモテ生活を選ぶのは無理だとしても、自分も周囲の人も朗らかになる環境や条件はあるはずです。
サッカーチームやユニクロにいても僕は幸せになれませんでした。でも、散歩(もはやスポーツではありませんね…)やフリーライターをしていると、なぜか気分よく過ごせるのです。
大宮冬洋
2013/10/30 9:42
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