<著者プロフィール>
内田 洋平(うちだ ようへい)
1978年生まれ。
幼少より3度の飯よりゲーム好きのコアゲーマーとしてすくすくと成長。
途中、海外で生活してみたり、有限会社の代表をやってみたりと自分でも適当な人生送ってんなぁと思いつつ、いつのまにか某大手ゲーム会社の子会社にてオンラインゲームの「コンテンツプロデューサー」という立場なってる行き当たりばったりな男。
小さなころからゲームに関わる仕事がしたいと思っていたら、今までついた仕事は全てゲーム関係という理想の状態に。
いや、現実はなかなか甘くないなんて愚痴は言いませんよ。
あぁ、この先ゲーム関係以外の仕事に就くことは無理なんだろうなぁ〜。



皆さんこんにちは。

第4世代までについて記載した前回に引き続き、今回は第5世代から現在主流の第7世代までを記載したいと思います。

さて、まずは第5世代といえば、有名どころとして「プレイステーション(以下、プレステ)」・「セガサターン(以下、サターン)」・「NINTENDO64(以下、N64)」などが挙げられます。
マイナーなところでは、「レーザーアクティブ」・「3DO」・「PC-FX」・「ピピンアットマーク」なども存在しており、各陣営が熾烈な争いを繰り広げていた時でもあります。
その他、「バーチャルボーイ」といった、任天堂の黒歴史もこの世代に登場いたしました。

では、なぜこれだけの機種がこの時代に登場したのか?
大きな理由としてCD-ROMというメディアの普及ということが挙げられます。

前の回で出ました第4世代でもCD-ROMメディアは存在しましたが、その時代はまだCD-ROM自体が普及しておらず、 「ロード時間が長い」・「大容量を使いこなすだけのものがない」などの問題でいまいち主流に乗れませんでした。
それゆえ、任天堂もCD-ROM開発を見送り、量産体制の整ったROMカートリッジでの発売を継続していました。

しかし、このころになるとCD-ROM自体の量産性の高さや低価格であることや、3Dグラフィックス機能の向上などによる表現方法の拡大・それに伴う データの大容量化により、CD-ROM自体のメリットが大きくなり各社がゲーム機の覇権を握らんと参入してくることになります。

そんな中、他を押さえつけ覇権を握ったのは、くしくも任天堂とのCD-ROM機開発で仲たがいをしたソニーの「プレステ」でした。

では、なぜ覇権を握れたのか?


プレイステーション(ソニー)

理由はいくつかありますが、一言で言えばライトユーザーの取り込みに成功したからにほかなりません。

同世代の「サターン」は、アーケードゲームの移植のためにスペックを高くする必要があり、コストダウンが難しいという問題を持っていました。

それゆえ、「プレステ」との値下げ競争の結果、売っても赤字になってしまうという結果を招くことになります。


セガサターン(セガ)


本体価格の低下は新規ユーザーの取り込みに大きく関わるため、無理をせずに下げられた「プレステ」に分がありました。

それに、ソフトラインナップもRPGなどの日本人好みのものよりも、対戦を主眼としたアーケードライクのものが多く、ゲーマーには好かれましたが世間一般的には取っ付きづらい印象が残っていました。



では、同じライバルで因縁の相手である任天堂はどうなのか?というと、
残念なことに任天堂はCD-ROMメディアへの移行をしておらず、未だ
ROMカートリッジを選択していました。

『NINTENDO64』(任天堂)

そう、「N64」はメディアがCD-ROMではなくROMカートリッジだったのです。

本体のスペック的には他の機種に見劣りしないものでしたし、最初から4人同時に遊べるような設計でライトユーザー向けでしたが、
第5世代機の中で最後発(プレステの2年近く後)であったことや、 ROM故の量産性の悪さや高価格であること、参入メーカーの少なさによるソフトラインナップの少なさが災いし最終的には「プレステ」に大きく水をあけられてしまうのでした。

それに比べ「プレステ」は参入企業の多さによるソフトラインナップの拡充やプロモーション展開の上手さもあいまって、爆発的な人気を獲得します

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