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大宮冬洋 omiya toyo
1976年埼玉県生まれ。フリーライター。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリング(ユニクロ)に就職するがわずか1年で退職。編集プロダクションを経て、2002年よりフリー。雑誌、web、書籍などで活躍する。著書に『30代未婚男』『ダブルキャリア』(ともに共著、NHK出版生活人新書) がある。最新刊は、『バブルの遺言』(廣済堂出版)。
日経ビジネスオンラインにて『ボク様卒業への道 ロスジェネ既婚男のつぶやき』を好評連載中。
ブログ『実験くんの食生活』を毎日更新中。


洪愛舜 Hong Ae Sun
1977年大阪府堺市生まれ。
立命館大学理工学部卒業後、出版社勤務などを経てフリーランスのライター・編集者に。編集プロダクション「econ(エコン)」主宰。
著書『もやもやガール卒業白書』(MMR)がある。
『econ-mag』編集長。


     
 

大宮冬洋さま

さっそくお返事くださりありがとうございます!

> 素晴らしいですね。僕が仕事人としての洪さんに信頼を寄せる理由の一つだ、と読んでいて感じました。企画力と実行力に富む洪さんにはぴったりの信条だと思います。
そう言っていただけるととてもうれしいです。
大学を卒業して仕事を始めたとき一番びっくりしたのは、自分にはこんなにも「実行力」がないのか!  ということでした。
企画はどんどんあふれるほど出てくるのに(大半がどうでもいいアイディアですが)、 それはどうすれば形になるのか、実現させるためにはどう動いたらいいのか、 全然わからなかったんです。
新卒で入った会社があまり新人指導とかないところだったし、 東京に出てきたばかりだから人脈も全然なくて、 企画のふろしきを広げては実現できずつぶれていく、そんな繰り返しだったように思います。

一度提案した企画を実現できないって、何も企画を出さないよりも信頼を失ってしまうんですよね。
仕事を始めて3年ぐらい経った頃にそれをすごく肌で感じたから、しばらくはアイディアの数よりも質よりもとりあえず「言い出したことは必ず形にすること」を目指すことにして、こつこつこつこつと実行力を養う訓練をしました。
でもそういうやり方でずっとやっていると、発想がつまらなくなってくるんですよねぇ。
「実現できる道筋」を描けるものしか発案できなくなってくる、というか。
自分がそうなっていくのを感じたから、フリーになるのを機会に発想をもう一度戻すことにしたんです。
今なら、多少無茶なアイディア出しても、なんとかかんとか実現できる力は持ってるかも!?とか思って。
なので、econのポリシーは「おもしろいと思うことをとにかく形にする」で(この「econ−mag」とかまさにそのために、つくっているものです)、まだまだそれが完全にできている状況とは言いがたいけれど、この初心を忘れずにやっていこうと、大宮さんからのメールを読んで改めて思いました。

と、いきなりどうでもいい経験語りから始まってしまいました。

さて、大宮さんの「受動的」と「主体的」の話、とても面白かったです。
確かになんか、「主体的であれ!」みたいな風潮はありますよね。
人生は自分で選べ! 流されるのはかっこ悪い!みたいな。
それは確かに正しいことだと思うけど、もしかしたらそれ自体「自分で選ばなきゃ思想」に流されていろんな判断について盲目的になってしまうこともあるかもしれません。
大宮さんみたいに、経験を通して「受動的でもいい」と感じてそれを実行しているのって、なんだか自然体でいいなぁと思いました。

> ただし、「既婚者は配偶者以外の女性と恋愛・セックスをしてはいけない」という変化には戸惑いを覚え続けています。
> で、同棲時代から数えると1年程が経過しましたが、妻以外の女性とセックスをしたことはこの1年で一度もありません(自慢げに言うことではありませんね…)。

ははは。まさに自慢げに言うことじゃないですが、
願望はありながらもそれを実行しないでいる、というのは自慢してもいいのではないでしょうか。
いいパートナーですね。
でも私は、実を言うと、どうして「既婚者は配偶者以外の異性としてはいけない」のか、 いまいちよくわかってないのです。
「倫理観」があるので私はやりませんが、そんなにダメなことなのかなぁと。
きっと、「欲」だと思うんですよ。
でも、人間の3大欲求が「食欲・性欲・睡眠欲」で、
食欲と睡眠欲にはそれなりに正直に生きてますよね。
なにに性欲だけがなんでそんなに悪者扱いされてるのか、ピンと来ないです。
藤子・F・不二雄先生の『気楽に殺ろうよ』とう作品の中で、
主人公の河口氏は価値観の逆転した世界に迷い込むのですが、その価値観というのが性欲は「種の保存」のために必要な公益的性格を持つものなので恥ずかしいものではない、でも食欲は「固体の保存」のための欲求なので罪深くて恥ずかしいもの、というものです。
私はこの作品を読んだとき、妙に納得してしまいました。
これはとても極端な例ですが、欲求の種類によってそんなに非難されることなのかなぁと。
どう思われますか?

もし、感情的に「他の人としてほしくない」と思う理由を挙げるとしたら、
行為そのものというよりは、
行為に持ち込むまでの「努力」というか「経緯」というか、
そこに至るまでにある種の必死さみたいなものに対して、
自分以外の人に向けられるのが嫌だ!というのはあるかもしれません。

犬問題、大変ですね。
ブログでも拝見して、私は非常に同情的な目で見ています。
極端に言うと私は「ある種族が別の種族を“飼う”」と言う、
ペットと言う思想自体受け入れることができないので、
もしつれあいが動物を飼いたいとか言い出したら絶対に一緒に住めないです。
(幸い私のつれあいは私と同じ「反ペット主義者」なので安心しました。
問題は将来子どもがのび太くんのように犬なんかを拾ってきたらどうしようと言うこと……)

しかしこればっかりはホント、価値観の問題ですねぇ。
お互い折り合いがつく「着地点」に、互いの価値観を少しずつ軌道修正するしかないかも知れません。
でもなんとなく、お話をお伺いしている感じでは大宮さんだけが「価値観の変換」をやらざる得ない状況に持っていかれているような気がしないでもないですが、そんなことないかな。
でも、これもまた「受動的フラグ」で、「室内犬っていいものだ」という価値観に流されていった方が大宮さんの人生にとってはプラスになっていくのかもしれませんよ。
フフフ……。

他にもいろいろ書きたいことができてきましたが、少し長くなりましたので
次の機会にまわすことにします。
ブログをお休みされているみたいですが、大丈夫ですか。
何か深刻な問題が起こっているのでしょうか。
心配です。

洪愛舜拝

2010年6月30日 14:21

追伸、ファーストリテイリングさんが公用語を英語にすると発表されていましたね。
グローバル社会でビジネスリーダーとして英語で交渉したりして活躍する大宮さんの「もうひとつの未来」を想像して、なんだか楽しい気持ちになりました。

 
     
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