洪愛舜さま
おはようございます。大宮です。
今日は午後から取材で地元(愛知県蒲郡市)の水族館で働く30代男性と会ってきます。
その人が『広報がまごおり』で8年間連載している文章が面白く、興味をそそられたからです。
80回も読ませる文章を書き続けるというのは難しいですよね。
ちょっと嫉妬してしまいます。
言い訳混じりに分析すると、彼は水族館もしくは魚類というフィールドを持っているのが強いのだと思います。毎日、魚やアシカと責任を持って向き合っているというのは圧倒的なコンテンツですよね。
話題が人間関係や日常生活にずれたとしても、本人にウイットさえあれば、水族館に話をつなげると必ずや個性的で具体的なものになります。うらやましい……。
子育て中の人に対する羨望も似ている気がします。
僕は経験したことがありませんが、幼い我が子というのは、親である自分がいなければ死んでしまうし、それだけ自分に頼ってくれる、はかなくてかわいくてリアルな存在ですよね。
責任感に目覚め、夢中になるのが自然でしょう。
僕が憧れる継続的・体験的な強いコンテンツが生まれるのです。
鉄道マニアが車両ごとの細かな違いを話しまくるように、語るべきことが無尽蔵にある。
ただし、洪さんも指摘している気遣いは必要ですよね。
興味がある分野(僕の場合は食べ物やモテ)関して一方的に語られまくる場合でも、「オレはTV番組の視聴者じゃない!」という気分になってしまいます。
あまり興味がなかったり、ちょっと気遅れしてしまう分野(僕の場合はスポーツや子育て)ではなおさらです。
自分の話を相手はどんな気持ちで聞いているのだろうか。
どんな風に話せば、相手の個性も生きてくるような会話ができるのだろう。
自分は気持ちよく話せたけれど、相手もそれなりに楽しい気分で会話を終えられたのか。
こんなことを無意識にチェックしながら、僕たちは普段の会話をしているのだと思います。
でも、自分が好きなこと(しつこいですけど僕の場合は食べ物やモテ)に関して語り始めると、話していること自体に夢中になってしまい、相手の存在を消してしまいがちです。
僕は先日、年下の友人たちと花見をした際、モテ論に熱くなって下ネタに陥り、ドン引きされました。
本当に心地よい人間関係と会話って難しいですよね。
日本語ネイティブ同士だと、すごく微細なニュアンスや表現で感情が変化します。
いっそのこと海外に出て拙い英語でおしゃべりをしたほうが、気楽な人間関係を得られるかもしれません。
大宮冬洋
2013/04/03 9:34
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