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大宮冬洋 omiya toyo

1976年埼玉県所沢市生まれ、東京都東村山市育ち。一橋大学法学部卒。新卒入社のユニクロをわずか1年で退社し、編集プロダクションを経て2002年よりフリーライターに。
高校(武蔵境)・予備校(吉祥寺)・大学(国立)を中央線沿線で過ごし、独立後の通算8年間は中央線臭が最も濃いといわれる西荻窪で一人暮らし。新旧の個人商店が集まる小さな町に居心地の良さを感じるようになる。
2012年、再婚を機に愛知県蒲郡市に移住。現在は「蒲郡の中央線化(もしくは鎌倉化)」を模索している。
月の半分ほどは門前仲町に滞在し、東京原住民カルチャーを体験中。
著書に『30代未婚男』『ダブルキャリア』(ともに共著、NHK出版生活人新書)、『バブルの遺言』(廣済堂出版)、『あした会社がなくなっても生きていく12の知恵〈ストーリー〉』(ぱる出版) がある。最新刊は『私たち「ユニクロ154番店」で働いていました。』(ぱる出版)。

Yahoo!ニュース個人にて、「今朝の100円ニュース(無料)」を毎日配信中。
他にも、「復興ストーリー」(google「イノベーション東北」) 「『仕事恋愛』の理論と実践」(日経BPネット)、「エリート美女のすべて」(東洋経済オンライン)、「女の言い分、男の言い分」(プレジデントオンライン)、「ロスジェネ世代の男ゴコロを徹底レポート」(日経ウーマンオンライン)などのweb連載のほか、雑誌連載も多数。
ブログ『実験くんの食生活』を毎日更新。
東京・西荻で主催イベント『スナック大宮』(第三水曜日18時半〜)を、愛知県蒲郡市で『昼のみスナック大宮』(第四日曜日15時〜)を、毎月各1回開催している。


洪愛舜 Hong Ae Sun
1977年大阪府堺市生まれ。
立命館大学理工学部卒業後、出版社勤務などを経てフリーランスのライター・編集者に。編集プロダクション「econ(エコン)」主宰。
著書『もやもやガール卒業白書』(MMR)がある。
『econ-mag』編集長。





     
 

洪愛舜さま

おはようございます。大宮です。
地域に根差して生きることの喜びと儚さ、興味深いテーマですね。

住み慣れた東京・西荻を離れ、ほとんど縁のない愛知県に移り住んだのは2012年の夏でした。
寂しさと不安に体がギュッと押し包まれていたことを今でも覚えています。

西荻に住んでいたころは近所に友だちが何人もいましたし、親兄弟をはじめ親しい人間関係の8割ぐらいは東京圏で暮らしているので、日中でも孤独感を覚えることはありませんでした。
愛知では違います。
僕はフリーランスなので、妻が7時過ぎに出勤してしまうと夜まで一人きりで自宅にこもって原稿書きをすることになります。
僕が住んでいる蒲郡市は人口8万人ほどの小さな町で、わかりやすく車社会なので、日中に近所をブラブラ歩いていてもすれ違う歩行者はまばらです。
駅までは近いので、電車に乗って名古屋や豊橋などの繁華街に出ることも可能ですが、人混みの中にいても「一人ぼっちだなあ。友だちが近くにいない……」という感覚はぬぐえません。

孤独や退屈はすごく辛いものですよね。
忙しくも楽しい会社勤めを終えて定年退職をした人の気持ちが僕は少しだけわかるつもりです。
集中して仕事をする合間に、ちょっと息抜きの雑談ができる仲間がいることのありがたさ。
夜に気軽に誘い合って飲みに行ける友だちがいることの豊かさ。
失ってみて初めて痛感するのです。

引っ越して3ヶ月後ぐらいに僕は「このままではまずい」と思い、インターネットで近所の店を検索しました。
良さそうな喫茶店があったら通ってみようか、と。気の合う「茶飲み友達」ができるかもしれない。
運良く駅前に見つけたのが「喫茶スロース」というコーヒーショップです。
僕と同世代の夫婦が経営していて、店の2階ではギター教室や読書会、落語会なども開いています。
蒲郡中の「文化系男女」が集まってくるような店なのです。

通って3回目ぐらいで奥さんのほうと言葉を交わすようになり、5回目ぐらいでギター講師もしている旦那さんを紹介してもらって意気投合しました。
お店のイベントなどで常連客の人たちとも知り合えたのですが、僕が「この町の人間になれた」と実感したのは、上述の「旦那さん」と二人で近所の素敵な食品スーパー(サンヨネですね)を勝手に宣伝するサークルを立ち上げてからです。
毎月1回、お店の2階で昼間からビールを飲みながら、そのスーパーの素晴らしさを語り合うだけのサークルです。「あの店のお菓子売り場については私が一番詳しい」と誇る主婦から「焼き芋の値段が下がる時期を狙っている」というマニアックな男子高校生まで、毎回10人ほどが集まって買い物や外食談義を楽しんでいます。

洪さんもご指摘のように、僕は西荻に住んでいたころは『西荻丼』というフリーペーパーの制作するボランティアサークルに参加していました。編集部に入って1年ほどしたら、創刊編集長のおじさんから「次は君が編集長だ!」と指名され(編集は不得手なのですがマメな性格が買われたのだと思います)、2年半ほど編集長をやりました。
そのときに感じたのは、「多少面倒くさいことがあったりしても、責任ある立場で主体的に関わったほうがいろんな人と密に関われるし、『オレはこの場所に住んでいる!』という実感を持ちやすい」ということです。
どんな小さな活動でもいいので、自分が「幹事」になること。すると、その場に一度でも来てくれる人はすべてお客さんや新人になり、アウェイの場所でも主客を一時的に逆転することができるのです。
蒲郡でもこの「コツ」を実践して、自分としては成功したと思っています。

駐在員の妻などで積極的な人は料理や母国語の「先生」をやっていますよね。
収入を得るというよりも、新しい人間関係の中でも主体性を持ち続けるための工夫なのだと思います。

妻に流されるようにして愛知県に引っ越してきた受動的な僕ですが、流れ着いた先では積極性を発揮して、自分にとって心地良い「ホームタウン」を作りたいと思っています。
生まれ育った土地や足かけ8年も住んだ西荻とも縁が切れたわけではありません。
ホームタウンはなくなるものでも移るものでもなく、増やしていくものだと思っています。そう思わないととってもせつなくなってしまう、という面もありますけどね。

大宮冬洋

2014/01/20 18:23
 
     


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