洪愛舜さま
おはようございます。大宮です。
地域に根差して生きることの喜びと儚さ、興味深いテーマですね。
住み慣れた東京・西荻を離れ、ほとんど縁のない愛知県に移り住んだのは2012年の夏でした。
寂しさと不安に体がギュッと押し包まれていたことを今でも覚えています。
西荻に住んでいたころは近所に友だちが何人もいましたし、親兄弟をはじめ親しい人間関係の8割ぐらいは東京圏で暮らしているので、日中でも孤独感を覚えることはありませんでした。
愛知では違います。
僕はフリーランスなので、妻が7時過ぎに出勤してしまうと夜まで一人きりで自宅にこもって原稿書きをすることになります。
僕が住んでいる蒲郡市は人口8万人ほどの小さな町で、わかりやすく車社会なので、日中に近所をブラブラ歩いていてもすれ違う歩行者はまばらです。
駅までは近いので、電車に乗って名古屋や豊橋などの繁華街に出ることも可能ですが、人混みの中にいても「一人ぼっちだなあ。友だちが近くにいない……」という感覚はぬぐえません。
孤独や退屈はすごく辛いものですよね。
忙しくも楽しい会社勤めを終えて定年退職をした人の気持ちが僕は少しだけわかるつもりです。
集中して仕事をする合間に、ちょっと息抜きの雑談ができる仲間がいることのありがたさ。
夜に気軽に誘い合って飲みに行ける友だちがいることの豊かさ。
失ってみて初めて痛感するのです。
引っ越して3ヶ月後ぐらいに僕は「このままではまずい」と思い、インターネットで近所の店を検索しました。
良さそうな喫茶店があったら通ってみようか、と。気の合う「茶飲み友達」ができるかもしれない。
運良く駅前に見つけたのが「喫茶スロース」というコーヒーショップです。
僕と同世代の夫婦が経営していて、店の2階ではギター教室や読書会、落語会なども開いています。
蒲郡中の「文化系男女」が集まってくるような店なのです。
通って3回目ぐらいで奥さんのほうと言葉を交わすようになり、5回目ぐらいでギター講師もしている旦那さんを紹介してもらって意気投合しました。
お店のイベントなどで常連客の人たちとも知り合えたのですが、僕が「この町の人間になれた」と実感したのは、上述の「旦那さん」と二人で近所の素敵な食品スーパー(サンヨネですね)を勝手に宣伝するサークルを立ち上げてからです。
毎月1回、お店の2階で昼間からビールを飲みながら、そのスーパーの素晴らしさを語り合うだけのサークルです。「あの店のお菓子売り場については私が一番詳しい」と誇る主婦から「焼き芋の値段が下がる時期を狙っている」というマニアックな男子高校生まで、毎回10人ほどが集まって買い物や外食談義を楽しんでいます。
洪さんもご指摘のように、僕は西荻に住んでいたころは『西荻丼』というフリーペーパーの制作するボランティアサークルに参加していました。編集部に入って1年ほどしたら、創刊編集長のおじさんから「次は君が編集長だ!」と指名され(編集は不得手なのですがマメな性格が買われたのだと思います)、2年半ほど編集長をやりました。
そのときに感じたのは、「多少面倒くさいことがあったりしても、責任ある立場で主体的に関わったほうがいろんな人と密に関われるし、『オレはこの場所に住んでいる!』という実感を持ちやすい」ということです。
どんな小さな活動でもいいので、自分が「幹事」になること。すると、その場に一度でも来てくれる人はすべてお客さんや新人になり、アウェイの場所でも主客を一時的に逆転することができるのです。
蒲郡でもこの「コツ」を実践して、自分としては成功したと思っています。
駐在員の妻などで積極的な人は料理や母国語の「先生」をやっていますよね。
収入を得るというよりも、新しい人間関係の中でも主体性を持ち続けるための工夫なのだと思います。
妻に流されるようにして愛知県に引っ越してきた受動的な僕ですが、流れ着いた先では積極性を発揮して、自分にとって心地良い「ホームタウン」を作りたいと思っています。
生まれ育った土地や足かけ8年も住んだ西荻とも縁が切れたわけではありません。
ホームタウンはなくなるものでも移るものでもなく、増やしていくものだと思っています。そう思わないととってもせつなくなってしまう、という面もありますけどね。
大宮冬洋
2014/01/20 18:23 |