「新卒でユニクロに入って店舗に配属されたんですが、これが大変でした。
まず、体力がないから体が動かないし、すぐいっぱいいっぱいになるし、数字もできないし、ミシンもできないし、人も動かせないし、何より根本的なことは、お店の商売が好きじゃなかったんですよ。
ビジネスとか経営とかに興味がなかった。服は嫌いではなかったけど、そんなにユニクロの服を愛してるかといえば全然そうでもなかったし。なんで入ったんだって感じですよね(笑)」
大学時代のアルバイトも、家庭教師や塾講師など『知的職業』にしか就いていなかったので、接客の仕事に対して全くイメージを持てていなかったそうです。
「お店にいると、いろんな人が来るじゃないですか。もうそういうのが、全然好きじゃないんですよ。在庫とか聞かれても、調べたフリして『ありません』とか言ってました(笑)。最低ですね」
こうして大宮さんは、楽々トップに立てるだろうと思っていた会社で、初めて自分の『無力さ』を知るのです。
「俺って、意外と何もできない、ってことに初めて気づきました。トップエリートだと思ってたけど、普通の人以下なんだ、って。
他の人たちが中学高校で恋愛したり部活したりしてたときに自分はただガリベンしてて、だから成績がよかっただけで、多少集中力はあったかもしれないけどそんなことは現場では何もできないって知ったんです。
自分の万能感には何の根拠もないってことを知って、ほんとショックでしたね……」
結局、1年と少しがんばってみたものの、あえなく退職。次なる道を模索します。
「挫折して自分の無力感を知った直後だったから、自分に何ができるんだろう、って悩みました。
いろいろ考えた結果、書くことぐらいしかない、書くことならできるかも、と思って、親父もライターをやっているので、編集プロダクションを紹介してもらったんです」
編集プロダクションで修行を始めた大宮さんですが、またも少しひっかかる点が……。
「編プロで仕事を始めて思ったのは、書く仕事はできるんですが、編集の仕事が全然好きになれなかった。
ライターを探したり取材先をセッティングしたり、正直他人の仕事にそれほど興味がないんですよね。編集というマネジメント業務が自分には向いてないなぁ、と。
あと頑固オヤジに使われているのもなんか気が進まなくて(笑)。
ちょうど10ヶ月ぐらい働いた頃、知り合いから大きな仕事を頼まれたので、これでやっていけるかも?と思って思い切ってそのままフリーになりました。
全くの新人で入って10ヶ月で辞めるなんて、給料ドロボーそのものなんですが……」
こうして、フリーランスのビジネスライターとして本格的に活動を開始した大宮さん。持ち前の勤勉さと器用さで、活動の場を広げてゆきます。そして32歳の今、大宮さんは、ライターとしての岐路に立っているといいます。