金麗雄 Kim Ryeo Ung
<profile>
1980年兵庫県生まれ。株式会社リエゾン代表取締役。同志社大学を卒業後、楽天株式会社に入社。「楽天野球団」で楽天イーグルスの立ち上げやファンクラブ事業の運営などに携わったのち、本社の広告事業を経て、楽天株式会社を退社。2008年10月株式会社リエゾンを設立。女の子向けゴルフウェアブランド「Eva&ViViana」の企画・販売や、韓国人留学生向けお仕事紹介サイト「FIND KOREAN JOB」の運営などを手がける。





2004年11月、楽天株式会社が運営する楽天野球団のプロ野球への正式加盟が認められ、翌シーズンからの新規参入が決まりました。日本中が注目したこの一大プロジェクトに、当時新入社員だった金さんも一員として参加。この大抜擢の要因はなんでしょうか?
「もともと新入社員から二人配属するというのは決まってたことだったみたいですが、新入社員の中では『目立ってた』というのはあったと思います。先輩からの助言もあって、飛び込み研修とかで率先して前に出たりいい成績をあげたりして、あえて目立とうとしていました。
でもやっぱり一番大きいのは、新卒からその事業に選ばれる年に入社したという『運』だと思います。1年前でも1年後でもダメだったわけですから」
それから、東北楽天イーグルスの本拠地・仙台市へ。日本中を巻き込んだ新事業の日々はいかがでしたか?
「初めはもう、わけがわからないぐらいめちゃくちゃでしたね(笑)。主にファンクラブなどお客様とのリレーションをどうつくっていくかを担当する部署で仕事をしていたんですが、誰もプロ野球チームの運営なんてやったことがなかったし、そもそもプロ野球チームの立ち上げをやったことがある人なんていないですよね。50年ぶりの新規参入だったわけですから。これをこうすればうまくいくという成功モデルを誰もわからないまま、とにかくがむしゃらにやっていたという感じでした」
大変そうです……。インパクトが大きかったできごとなどはありますか?
「携わっていた2年半毎日インパクトだらけだったんですが(笑)、参入が決まってからシーズンが始まるまでの5ヶ月間の怒涛の日々は今でも印象深いですね」
たった5ヶ月で、お客さんを入れて試合を運営できるようにしないといけないという、無謀な(!?)事業!
「すごかったのは、ファンクラブの最初の申し込みのときです。担当してた人が完全にキャパオーバーでめちゃくちゃになってて僕がヘルプで入ったのですが、申し込みファックスが机の上の山積みになってるんですよ。それも3万人分(笑)。これを全部入力して、開幕戦の抽選方法を記入したハガキをすぐに送らないといけない。手分けしてなんとか発送したんですが、抽選日が近づいてもハガキが届かないという申込者からの問い合わせがどんどん入ってくるんです。こちらは確かに発送したのに向こうからは届かないという連絡があって、『もうすぐ届きますからしばらくお待ちください』とこちらは対応するんですが、一向に届かない(笑)。そしてついに抽選当日になっても誰の手元にも届いていないという事態になりったんです」
大パニックですね! 送ったはずのハガキは、一体どうなっていたのでしょうか……?
「調べてみたら、郵便局にそのまま残ってたんですよ! まとめて送ると郵便料金が安くなるというサービスを利用していたんですが、それだと届くのがちょっと遅くなるんですね。それに間に合わなくて、もう電話鳴りまくり(笑)。必死で対応しました。結局抽選日を延期することになって、その告知を新聞にも出して、なんとか事態は収束しましたが、あの5ヶ月間は毎日がそんな混乱の連続でしたね」
今となっては笑いながら話せるエピソードですが、当時は毎日が大混乱と大興奮の連続だったことでしょう。信頼できる仲間たちと新生プロ野球チームを支える日々は、後の金さんのビジネスにおいて大きな影響を与えることになります。
「どんなことをやるときにも、『できない』と思う人がいなかったんです。やろうと思いさえすればなんでもできる、とみんな思ってた。部署のみんな野球のビジネスなんてやったことない人ばっかり、それもほとんど20代から30代前半の若いやつばっかりで、でもどんなことでもやればできるし、そうやって自分たちがやったことが夕方のニュースで流れる、という感じで、そうするうちに、自分で自分に制限を持たないことがたいせつなんだと実感していました」
楽天野球団での2年半の充実した日々を経て、本社に戻った金さん。その後自ら希望して営業の仕事を経験した後、満を持して独立します。

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text by Hong Ae Sun


 
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