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金理郷 Kim Lihyang
<profile>
1982年東京都生まれ。奈良県で幼少期を過ごし、同志社大学を卒業後、フリーのアナウンサー、広告代理店勤務を経て、2010年10月に株式会社LBKを設立。女性の笑顔の輪を広げるための商品やサービス、イベント等、 "よき"エネルギーを広げていける事業を展開中。

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Vol.012 contents



大学卒業後、フリーアナウンサーとして3年間活動し、そののちに広告代理店で3年勤務することになります。
「最初の仕事は自分の中で3年は絶対に続ける、というのがありました。ほら、若者って3年続けないで辞める、ってよく言われるじゃないですか(笑)。どんなに嫌なことがあっても3年は続けるって決めてたんです。毎日すごくいい経験をさせてもらっていたのですが、大学を卒業していきなりフリーアナウンサーとして活動を始めたらから、ずっと続けているうちに、自分自身、地に足がついていないなぁという感覚がありました。もちろんとても楽しかったのですが。それで、ちょうど3年経つ頃にラジオのレギュラー番組が終わることが決まったので、次のこと考えようかな、と自然とタイミングが来た感じでした」
何に迷いもなく「しゃべる仕事」を卒業し、「次は堅気の仕事に就こう」と決めて、みっちり3年間OL生活を送ることになります。
「この会社ではほんとに勉強させてもらったという感じです。それで、ちょうど勤め始めて2年経った頃に、急に『あ、会社作ろう』ってひらめいたんです。2010年の元旦でした。もともとこの会社には3年、と決めていたので、秋ごろから、もうすぐ2年だけどどうしようかなと考えていて。実家の仕事を手伝おうかとかいろいろと考えていた中で、自分で会社を作るのが一番いい、っていうひらめきが降りてきたんだと思います」
自分の会社をつくろう、というひらめき。ちなみにその時点でビジネスプランは決まっていたのでしょうか?
「何にもなし(笑)。会社を作って、自分の会社というものを持って社長にさえなれば、そこから展望が開けると思ったんです。枠が先でした。何にもないけどまず自分の会社を作る、というのが、2010年元旦のひらめきでした。でもひらめきが来たら、絶対間違ってないと思うんです。だから、そのあともいろんなことがぐるぐるぐるぐるつながっていってる感じがします」
会社を作ろうと決めて、いざ何をしましょうか。
「『女性』っていうキーワードはずっとありました。自分も女性だから女性の考えていることはわかるし、逆にそれしかわからないし。人口の半分は女性なのに、その半分の女性のパワーが正当に出されていないというか、歪んで伝わってしまっているように感じて。例えば今『肉食女子』がどうとか言われていますが、まだまだイーブンじゃないと思うんです。だからもう少し女性が先にハッピーになることでうまくまわっていくことって多いんじゃないかと本能的に感じていたので、女性向けで何かしたいな、というのがまずありました」
さらに、『もったいないな』と思う女性が多いように思う、と金さんは言います。
「もったいないというか、無駄に苦しんでいるというか。本人そのものは幸せなはずなのに、外からの反響とか一般的に世の中で言われている基準に合わせようとして『あれもダメ、これもダメ』って追い詰められていたりとか、許容範囲が狭くなって悪循環に囚われてしまったいたり。素をもっと楽しんで自分に正直になれればいいのに、ガチガチになっちゃってる人が多いな、と感じます」
確かに女性は、見えない「時間軸」に囚われて身動きできなくなってしまいがちなものです。それを変えるために自分に何ができるかはわかりませんが、と話しながら、金さんはまず自分自身が楽しんで生活を謳歌することから始めようとしているように感じました。






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text by Hong Ae Sun





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