大宮さま
こんばんは、洪愛舜です。
今日はとびきり寒いですね。
朝少しでかけたら風がビューと吹くたび震え上がってしまったので、今日はもう外出しないことにしました。
webマガジンの製作が佳境で余裕がないというのもありますが……。
さて、前回お送りしたメールの中にいくつか誤解があったようなので、改めて訂正させていただければと思います。
まず大宮さんが「腹が立つ表現」だとされた「都合のいい方向に解釈していたり、格好悪いことを隠そうとしていたり……」という記述に関しては、自分自身も含めた一般論を表したつもりです。
そしてもうひとつ、私が現在取材中のブラジル学校というのは厚木市にある在日ブラジル人のための学校で、取材している先生というのは、日本の学校ではじかれてしまっている在日ブラジル人の子どもたちのために、私財を投げ打ち、自分の人生を投じて学校運営に取り組まれている校長先生であり、決して「新興国のポジティブバカ教員」ではないことを明記しておきたいと思います。
これに関しては私の方で説明不足があったため、誤解を与えることになってしまったかと思います。
この点に関してはお詫びいたします。
日本学校になじめない在日ブラジル人の子どもたちのために校長先生が8年前に始めたこの学校は、ここ数年の製造業不況の影響などで運営面で非常に厳しい状況にあり、その中でも教育の水準を保つために小学校部門を廃止し、幼稚園教育に専念していくことを決めたそうです。
地域の在日ブラジル人コミュニティの人々から必要とされ、愛されてきた学校が形を変えてしまうことはとても悲しいことですが、「この方が絶対に子どもたちにとっていい教育ができる」と「ポジティブ」にとらえ、真摯に取り組まれる様子は、とても心打たれるものでありました。
前々回のメールでも書いた通り、私は「一貫していること」を最大の美学としているところがあって(これに関しては決していいことだとは思っていません)、それだけに、「変わる」ことに対して大きな恐れがあるように感じます。
だからこそ、過渡期に発する言葉に対してすごく敏感です(人のものにも自分のものにも)。
「こんな風に言ってるけどほんとはつらいから逃げ出したのかな」とか、しばらく後にまた別のことを言ってるのを聞いて「こないだはあんな風に言ってたのにまた変わってる」とか、それを口にはしなくても、自分の中でそんな風に思ったりしていたものでした。
でも、最近大宮さんの「変化」への姿勢とか、件の校長先生の言葉とかと接しているうちに、そこにストイックでいることにはあまり意味がないことかもしれない、むしろ、いろんな可能性とかチャンスを逃すことになるかもしれず、逆に「とらわれすぎる」ことはマイナスなのかも、と思うようになりました。
だから決して、「都合のいい方向に解釈していたり、格好悪いことを隠そうとしていたり」することを否定したり非難したりしているわけではなく、今の「決心」がこれからどんなふうに作用していくとしても、行くと決めた道を信じて歩き続けることはとても強くて美しいことだし、それこそが今一番大切なことなんだな、ということが言いたかったのです。
いずれにせよ、中途半端な表現で大宮さんの心を乱してしまったこと、お詫びいたします。
言葉を扱うことを生業としている者として、もっと丁寧に表現するべきでした。
人を「傷つける方」と「傷つけられる方」とにざっくりと大別するとすれば私は「傷つける方」に入ると思うので、大宮さんのようにいつも「その言葉に傷つきましたよ」と言ってもらえることは、ありがたいことです。
でも確かにメールだと、お互いに心乱される度合いが強すぎて精神衛生上よくないかもしれませんね。
このメールを見て大宮さんがどう反応するのか、全然わかりませんし。
直接会って話すと「あ、この言い方はまずかったかな」とか「伝わってるかな」とか、一つひとつ確認しながら話していけるのに。
やはり対面でのコミュニケーションって偉大です。
とりあえず今日のところはこの辺りで……。
ますます寒さ厳しくなっていきそうなので、どうぞご自愛ください。
洪愛舜拝
2011年1月11日 5:47
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