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宮川万衣子 Miyakawa Maiko
profile
1978年神奈川県生まれ。大学卒業後、不動産会社勤務を経てバレエダンサーに。自身も舞台に立ちながら、フリーランスのバレエインストラクター、ピラティスインストラクターとして数々のジムやスタジオで活躍。2008年4月より、都内スポーツジムの専属スタジオインストラクターとして活動を開始。





 
2003年、バレエのレッスンのために訪れたフランス・パリの、シャンゼリゼ中央分離帯にて。


宮川さんにひとつの転機が訪れたのは、今から約3年前。バレエ教室だけにとどまらず、スポーツジムでのバレエのクラスを受け持つことになったのです。おりしも、バレエを題材にしたドラマが放映されたりと『バレエブーム』が訪れ、大人のバレエ人口が増え始めた頃でした。

「きっかけはプライベートなことなのですが、全国どこの街へ行ってもバレエのインストラクターの仕事をするためにはどうすればいいかな、と思ったんです。バレエ教室は個人単位で運営している場合が多いので、その街を離れたらまた別の教室を一から探さないといけない。それなら全国展開しているスポーツジムで教えられないか、と思ったわけです。バレエブームはなかなかの追い風でした(笑)」

そこで、運命的な出会いがありました。
「当時バレエを教えていたジムで、ピラティスインストラクター養成コースを担当していたのが、以前にシンガポールで共通の友人を介して会ったことがある方だったんです。ジムの本社オフィスでばったり会ったときは、お互い本当に驚きました。その方がピラティスを教えているというのは知っていたのですが、ピラティスには星の数ほどの流派があるので、まさか日本のこんなところで会うとは思ってもみなかったから。その頃、怪我をした足のリハビリのためにピラティスを習っていて、ちょうどすごく楽しいと思っていたんです。この出会いは何か縁があるかもしれないと感じて、インストラクターを目指そうと決めました」

人生はめぐり合わせ。それに気がつくこともあれば、気がつかず通り過ぎてしまうこともある。そのときの宮川さんにふわふわと近づいてきた大きな『めぐり合わせ』を、がっちりとつかんだ瞬間です。
「他にはいろんなこと気づかないままやりすごしてきているとは思うんですけど(笑)。これに関しては、あの出会いで随分大きく動いたように今は思います。仕事の幅が広がったのはもちろんですし、世界がふくらんでいくというか。ピラティスはコツコツと自分の体と向き合い、ダンスはぶあーっと思いっきり飛び出していく。その両方を知って、組み合わせていくことで、どこまでも可能性が広がっているんです」

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text by Hong Ae Sun
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