「このインタビューを受けることになって、昨日、一晩中ずっと考えてたんです。
私にとって、たいせつなものって、一体なんだろう、って。
物ではないなって、思いました。じゃあ一体なんだろう、このお店?とかいろいろ考えたんだけど……」
ヴィブラートがかかったような優しい声で話し始める今回のゲストは、新宿3丁目にあるバー『LE Temps(ル・タン)』のオーナー・涌井香織さん。
「一晩ずっと考えて、今の私にとって一番たいせつなのは、『人と人とのつながり』だな、っていう答えに辿り着きました」
『人と人とのつながり』。バーのようなお店を一人で経営する上では、確かに必要不可欠なことです。しかし涌井さんの場合はそれだけではなく、涌井さんがこのバーを経営するようになったのも、『人と人とのつながり』を守るためであったと言います。
「このお店は、もともとは私が前に勤めていた会社が経営していたんです。でもいろいろと経営上の問題があって、ル・タンを店じまいする、という話になったとき、どうしてもじっとしていられなかったんです。
このお店を守らなきゃ、って。
その頃、会社の経営状態があまりよくなくて、たくさんいた社員が次々と辞めていってしまいました。一緒に仕事している中で、楽しいこともつらいこともたくさんあったけど、そんな風に大事な時間を共に過ごした仲間たちが、散り散りになってゆくのをどうすることもできず、とても切ない思いで日々過ごしていました。
このまま出会う前に戻るみたいに、何のつながりもなくなってしまったら、それはあまりにも寂しいじゃない。
せっかく出会えて一緒に過ごした人たちとの『つながり』を、このル・タンというハコがつなぎとめてくれるんじゃないか、辞めてしまった人も離れてしまった人も、いつでも来たいときに来て、つながり続けることができるんじゃないかって。
そんなことを漠然と考えているときに、壁画の作者の宇野亜喜良さんとお会いする機会があって、
宇野さんが、「ル・タンは涌井さんがやったら合うと思うんですけど……」と、そのときの会話には何の脈絡もなく宇野さんがおっしゃって、正直驚きました。おぼろげながらも私がしようとしていることを、宇野さんが見透かしているような……。
そんないきさつもあり、おこがましくもこのお店を私が守っていこう、って思いついちゃったんです。
それはほんのわずかなつながりだし、もしかしたら誰も望んでいないかもしれないけど、私がそれを強く望んだんです。
そしてそれはまた、新たにル・タンに来てくださって、ル・タンという箱の中で時間を共有した方々に対しても同じこと……」
もともとあったお店を譲り受けるとは言え、ひとりの力でお店を経営してゆくとなると、生半可なことではありません。そこまで涌井さんを駆り立てたものは、何だったのでしょうか。
「ひとつには、今の自分を何か表現するというか、映し出すというか……そういったステージを持ちたいと思ったこと。それが自分がこの先も生きていく意味を感じられるのではないか、と思ったことです。
そしてやっぱり一番には、宇野亜喜良さんがこのお店の壁に描いてくださった絵を、すごく好きで、いつまでも残したいと思ったから。大好きな場所で、大好きな絵に囲まれて仕事してゆけるなら、多少の苦労はいとわないかも!!って思ったんです。なんとなく、宇野さんの壁画が守ってくれるような気がするし」
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